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市長の部屋

伊佐市手をつなぐ育成会

   神社やお寺の境内は蝉の声が心の底まで沁みてjinjya.JPGくる数少ない場所です。何も考えていないから「心に沁みてくる」と考えられがちですが、実際は蝉の声以外は他に雑音がないからなのでしょう。8月はお盆があるせいかもしれませんが、どうしてもご先祖や亡くなった知人のことを思い出してしまいます。帰省子や同級生の集まりが重なることも8月の特徴です。17日には地元での大口高校同窓会も予定されています。11月に行われる大口高校創立90周年記念行事の話題もあるので盛り上がるでしょう。山野中学校の昭和40年卒同窓会も24日の夕方、十曽で行うことになっています。

 

 先月は梅雨明けが遅れるなか各地域で六月灯が行われ、私も喜んで参加することでした。神社が地域にあることがいかに大切なことかを再認識しました。昔の疫病などは「恐ろしいもの」で、原因もわからず、ただ祈るしかなかったのでしょう。8月は舞台が神社からお寺になります。日ごろはお寺やお墓に行かない人もこの8 月だけは特別だと思います。ご先祖に会えるような気がするのでしょう。この時期に多くなる通称盆トンボは背中に小さなコブがついています。祖父母はこれを少年の私にご先祖の〝魂〟とも〝霊〟ともよく言って聞かせたものです。

 

 子ども達にとって、8月は夏休みの大半を占めます。この長い夏休みを県立出水養護学校にかよう子どもたちが、市陸上競技場近くの障がい児学童保育〝ステップ〟で過ごします。今年は23名のお友達です。〝ステップ〟は元気な子供たちのおしゃべりや歓声でいっぱいになります。空気で膨らましたプールを芝生の上に置いての水遊びも人気です。部屋で勉強するお友達もいます。思い思いに過ごしています。ここに来るのをとっても楽しみにしているお友達ばかりです。〝ステップ〟は出水養護学校が開校した翌年の2001年(平成13年)に産声をあげ、翌年2002年にひまわり福祉会の委託事業となり正式にスタートしました。

 

スタートから10年が過ぎ、今では当たり前のごとく〝ステップ〟が活動しています。保護者も長い夏休みを子供たちがどのように過ごせばいいか悩まないですむようになりました。諦めかけていた共働きもできるようになって、夕方は祖父母が迎えに来られる場合もあります。〝ステップ〟だけにかぎらず、伊佐の障がい児(者)施策は高く評価していただいて嬉しいかぎりですが、ここに至るまではひまわり福祉会の冨永さんご夫婦の活動を抜きにしては語れません。4番目のお子さんがダウン症であることに気づき、ふるさとの当時大口市でこの子を育てようと決心されたのでした。生活の不安を抱えたままの決心だったそうです。

 

冨永さんからス タートした現在の伊佐市の障がい児施策や事業に至るまでを少々長くなりますが紹介します。

 

1985年(昭和60年)、親子相談会がスタートし、翌年昭和61年には大口・菱刈地区の障がい児を持つ親の会「ひまわり」を設立されました。その頃、親の願いをうけて大口小学校で〝言葉の教室〟が開級しました。親の会の活動もサツマイモや菜種の作付けなど戸外での取り組みも活発になり、1987年(昭和62年)には、障がい児やボランティア、保護者が自由に寄り添い、遊ぶ「おもちゃとしょかんポッポ」が、1992年(平成4年)には、多くの人が集う大口ふれあいセンター内に開設されました。このことは意義深く、これにより障がい児が自然と市民の間で理解されるようになりました。

 このような活動の中、1989年(平成元年)には大口伊佐地区に養護学校設立を求める実行委員会が設立され、さらに活動は活発になっていきました。戦後まもなく、近江学園が知的障がい者福祉の父と呼ばれる糸賀一雄氏らにより創設された滋賀県や京都府の取り組みに比べ、鹿児島県の障がい児(者)への施策はまだまだ不十分でした。当時の大口市・菱刈町・栗野町・吉松町・横川町などを対象に署名や学習会を重ね、県に請願書を出すに至りました。これらの活動が実を結び、11年後の2000年(平成12年)出水市に養護学校が開校したのです。その間の1993年(平成5年)6月に〝大口市手をつなぐ育成会〟が設立され、仲良し会、父母の会、ひまわり会・・などこれまで個々に活動していた団体がひとつになりました。

 設立総会では鹿児島子ども療育センターの大迫より子先生を講師に招いての学習会も行いました。先生は、今でも伊佐の障がい児療育に大きな指導をいただいている方です。4年後の1997年(平成9年)には通園事業〝たんぽぽ〟が大口里保育園を委託先として開園しました。その14年後の昨年2月からはおぎゃー献金祈念堂隣の現在の伊佐市子ども交流支援センター「笑(すまいる)」の通園事業〝たんぽぽ〟が設立され現在に至っています。今年は97名の子どもたちが療育を受けています。冨永さんの30年間の継続的な活動や大迫先生のご指導がなければ、現在の伊佐の障がい児(者)施策はここまでには達していなかったと思います。まさに糸賀一雄氏の思いである『この子ら世の光に』の精神が伊佐市に受け継がれています。

 今年度は、伊佐市トータルサポートセンターが本格的にスタートしました。幼児の療育の成果を小学校や中学・高校へも波及させる施策へと進めようとしています。国の施策として行われる福祉と教育は縦割り行政の弊害もありますが、伊佐市では、これからはその垣根が取り除かれていくでしょう。小さなまちだからこそできることもあるのです。療育と教育を一体化させるためにはかかわる人材の意識改革と実践力、そしてネットワークが必要です。伊佐市の療育は一定のレベルになっているので、これからはさらに子どものライフステージに応じて幅広く支援体制を構築していく段階になっています。十曽の〝こどもの森〟の整備もこれらのことを考えながら進めれば、さらに魅力あるものになるでしょう。

 今月の挨拶は「伊佐市手をつなぐ育成会」のこれまでの活動をベースに、伊佐市の子育て施策がどのような方向を目指しているかをご理解していただけたと思います。たまたま私の政治・行政活動と年次的には重なっているので時系列に紹介しました。私が初めて議員に当選したのが昭和58年、33歳でした。先般開催された「伊佐市手をつなぐ育成会」総会の資料に詳しくこれまでの活動が掲載されていましたので、自分のこれまでの活動や生き方を重ねることになりました。私も高校を卒業し、京都市に行き、18歳から4年間知的障がいの4歳年上の従兄である浩一さんと同じ屋根の下で暮らさなければ、これほどの理解はできなかったかもしれません。

 

伊佐市は先月サッカー九州リーグのヴォルカ鹿児島とまちづくりの推進についての協定を結びました。ヴォルカの赤と黒のチームカラーに菱刈鉱山の世界一の金にちなんで新たに金色を加えることがご縁でした。青少年の育成や特産品の紹介などとともに、プロ化を目指すチームの宣伝を自治体としてもお手伝いすることにします。選手の皆さんは障がいを持った子供たちとの交流もされています。伊佐市が理想とする自治体づくりとチームのコンセプトが一致しているような気がします。伊佐市がきっかけとなり、県民一人一人がサポーターになっていただけるように願っています。

 冒頭に8月を同窓会や盂蘭盆会のことで紹介しました。加えて夏祭りや花火大会も大小さまざまに各校区でおこなわれます。ふるさとの良さを堪能しお楽しみいただきたいと思います。今年の夏休みは44日間という今まででは一番長い夏休みだそうです。みんなが幸せを感じられ、心が穏やかになれる8月であってほしいと願っています。暑さは立秋を過ぎても酷暑が続きますので、残暑となっても熱中症にお気をつけてください。ジージーとなく蝉の声もやがてカナカナと涼しげに聞こえる夕べになるでしょう。8月の夏をお元気にお過ごしください。

 

        蝉時雨今が盛りの命かな

        思い出に今年も会える盂蘭盆会

        夕立に鼻緒濡らして彼に会う

        送り火の遠き青春大文字

        風鈴のどこからともなく留守居かな  -新-


2012年08月01日