星空とおいしい水に恵まれた地で消費者の方々が満足される商品を生産していきたい

2010年04月01日

koshimozono01.jpgUターン当初、ハローワークで仕事を探していた下小薗さんだったが、奥さんが鹿児島弁を分からず勤めに出ても、会話が出来そうにないため、二人で仕事の出来る農業をすることを決意された。農業は未経験だった下小薗さん夫婦は農業改良普及センターに相談へ行き就農の説明を受けた。「初めは、JAの指導員から説明を受けたが、最初は農業用語も分からず、手取り足取り金山ねぎづくりを教えてもらいました。一年目は、何をして良いか分からない状況で、失敗の連続だったんですが市役所、普及センター、JA指導員の適切な指導と生産者仲間の協力等も有り2年目以降に商品化できるまでになりました。」とご主人。しかし今では、JAの指導員から「もう何も教えることはないですよ。」と言われるようになり、品質も高く評価され、農協をはじめ地元のスーパーや、鹿児島市内の市場まで金山ねぎを出荷されている。「いいものを作っていれば、どのお店も取り扱ってくれます。」と話される。 koshimozono02.jpg2003年には、近くのぶどう園を見てぶどうも栽培してみようと独学で、伊佐地域では誰もしていない『短梢栽培』を始めた。この栽培方法は枝の形づくりが簡単で剪定方法も単純なため、金山ねぎと平行して栽培出来るのではないかとの考えから始めたが、始めてみたら、そう簡単ではなく県の果樹試験場に二人で通い勉強させてもらい、2008年からやっと満足出来るものを販売出来る様になった。4月の発芽から6月末の袋かけまでの約3ケ月間は管理作業にかかりきりだそうだ。このような努力の末に、たわわに実った房ができる。収穫前には、地元地域の乳幼児から中学生の子供たちに袋に名前を書かせて、収穫時に自分の袋を親子で見つけさせる収穫体験をさせている。
下小薗さんは、今では認定農業者に認定されプロの農業家として活躍されている。「農業はやればやるほど難しいです。自分でやることだから自分に責任があります。だからやりがいがあるんです。とても楽しいですよ。」とご主人。「やる気があれば、どこで暮らそうと何も心配なことはありません。怖いことは無いです。」と奥さん。「そのやりたいことを見つけるのが難しいんだけどね。」伊佐の地で『やりたい』ことを見つけた下小薗さん夫婦は、仲むつまじく農業をされている。

農家
下小薗 清文 さん
下小薗 タヅ子さん
平成9年に、父親の看病をきっかけに東京からUターン。東京では29年間サラリーマンだった下小薗さん。
奥さんは、徳島生まれで伊佐での田舎暮らしは初めて。

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