令和2年度伊佐市社会福祉功労者・福祉作文表彰作文
2020年10月25日
令和2年度 伊佐市社会福祉功労者表彰
【功労者表彰】
番号 |
氏 名 |
所 属 部 門 |
事 由 |
---|---|---|---|
1 |
やすゆき めぐみ 安行 恵 |
社会福祉法人大一会 |
永年にわたり、知的障がいのある方々や高齢者の生活支援や自立支援に尽力され、小規模多機能ホームの立ち上げにも関わり、リーダー的存在として後輩の育成にも力を入れられ、地域の福祉向上に貢献されている。 |
2 |
かきのき かつゆき 柿木 勝之 |
社会福祉法人大一会 |
永年にわたり、生活支援員として障がい者の方々の生活支援をされ、物腰も柔らかで利用者の相談もよく受け、後輩へも気さくに接し信頼も厚く、地域の福祉向上に貢献されている。 |
3 |
なかじょう みちあき 中條 道明 |
社会福祉法人啓明福祉会 |
永年にわたり、老人福祉施設の介護職員として介護福祉士の資格も取得し、積極的な勤務態度で副主任介護職員の経験もあり、他職種との連携も計りながら働きやすい職場作りに貢献し、入居者様への対応も他の職員の模範となっている。 |
4 |
えぐち けいこ 江口 惠子 |
社会福祉法人啓明福祉会 |
永年にわたり、老人福祉施設職員として介護支援専門員、介護福祉士の資格も取得し、自己研鑽に努め、きめ細かい介護を献身的に行う姿は入居者様、職員からの信頼も厚く、他の職員の模範となっている。 |
5 |
うかり おさむ 鵜狩 修 |
社会福祉法人啓明福祉会 |
永年にわたり、老人福祉施設の介護職員として介護福祉士の資格も取得し、気さくな性格で職員、入居者様からも信頼され、研修も多数参加し自己研鑽に努め、主任介護職員として高い知識と経験で介護の質の向上を目指し職員の指導も行っており他の職員の模範となっている。 |
6 |
しょうや ひでとし 庄屋 秀敏 |
社会福祉法人隼仁会 |
永年にわたり、介護職員として、入所者様に献身的な態度による接遇は他職員の模範となっており、入所者様の生活の質の向上に尽力貢献されている。 |
【功労者表彰】
番号 |
氏 名 |
所 属 部 門 |
事 由 |
---|---|---|---|
7 |
しょうや まゆみ 庄屋 眞夕美 |
社会福祉法人隼仁会 |
永年にわたり、介護職員として、入所者様に献身的な態度による接遇は他職員の模範となっており、入所者様の生活の質の向上に尽力貢献されている。 |
8 |
にしぞの としこ 西園 敏子 |
伊佐市身体 障がい者協会 |
心身の障がいを克服されて、自立更生。本協会において、重留・田中地区を中心にまとめ、活動に貢献され、会員の模範となっている。 |
9 |
まつき みよこ 松木 美代子 |
伊佐市身体 障がい者協会 |
心身の障がいを克服されて、自立更生。本協会において、菱刈地区を中心にまとめ、活動に貢献され、会員の模範となっている。 |
10 |
せお さちこ 妹尾 幸子 |
針持校区 コミュニティ協議会 |
永年にわたり、児童の通学時に毎日道路に立ち声をかけ児童の安全を見守っており、地域の福祉向上に貢献され、他の模範となっている。 |
11 |
はしやま せつこ 枦山 節子 |
本城校区 コミュニティ協議会 |
永年にわたり、難病を患っておられる方に、常に寄り添い、見守り支援をされており、地域の福祉向上に貢献され、他の模範となっている。 |
令和2年度 福祉作文コンクール入賞者
『優秀賞』
学校名 |
学年 |
氏名 |
題名 |
---|---|---|---|
菱刈小学校 |
5 |
今村 樹里(いまむら じゅり) |
人を支える人になる |
菱刈中学校 |
3 |
橋口 真心(はしぐち まこ) |
将来に向けて |
大口高校 |
2 |
有満 万結香(ありみつ まゆか) |
感動とその裏側 |
『優良賞』
学校名 |
学年 |
氏名 |
題名 |
---|---|---|---|
平出水小学校 |
1 |
池町 早耶果(いけまち さやか) |
いちにちおかあさん |
大口小学校 |
3 |
簗瀨(やなせ) あかり |
大すきな弟 |
大口東小学校 |
5 |
福留 康生(ふくどめ こうせい) |
人を大切に |
菱刈中学校 |
1 |
宮脇 海羽(みやわき みう) |
私の祖父 |
大口明光学園高校 |
2 |
萩峯 綾梨(はぎみね あやり) |
よりよく生きるために |
『入 選』
学校名 |
学年 |
氏名 |
題名 |
---|---|---|---|
本城小学校 |
4 |
中野 旬(なかの しゅん) |
ぼくのばあちゃん |
田中小学校 |
5 |
鹿島 凛咲(かしま りさ) |
言葉に思いをこめて・・・ |
大口明光学園中学校 |
2 |
愛甲 加奈(あいこう かな) |
私の願い |
大口高校 |
1 |
久保田 潤葉(くぼた うるは) |
福祉の心を持つこと |
大口高校 |
1 |
有村 裕那(ありむら ゆうな) |
地域活動を通して |
福祉作文出品総数 175名
人を支える人になる
菱刈小学校 五年 今村 樹里
「じゃあ、着がえましょうね。」
そう言って、看護師さんはお父さんを着がえさせてくれた。その後、はずしていた点てきをまたつけた。お父さんは、
「樹里、だいじょうぶだよ。」
心配そうな顔をしているわたしに笑顔で言った。
手術から帰ってきたとき、目を開けないので心配していたら、看護師さんが、
「まだ麻すいが覚めていないだけだよ。」
麻すいから覚めるまで、看護師さんは、何度も様子を見に来てくれ、点滴の様子を観察したり、痛み止めを入れたりしていた。看護師さんの様子を見てわたしはとても安心した。
手術は成功したけれど、二週間後くらいにお父さんの様子は急変した。お母さんがナースコールを押すとすぐに看護師さんが来てくれた。それから、心臓マッサージが始まった。その後、お医者さんが走ってきて、心臓マッサージをした。でも、お父さんは助からなかった。
それからしばらくして、三年生になった時わたしは肺炎になり入院した。年長さんの時もそうだった。お父さんが入院していたときのことを思い出して、心配になった。一週間くらい何も食べられずに、点滴が続いた。お母さんが買い物に行っているときは、看護師さんがいろいろと話しかけてくれた。
「きついでしょう。がんばってね。」
この言葉で、わたしはがんばって病気を治すぞという気持ちになった。
少し食べられるようになったとき、リンゴをすってくれたり、うすく切ってくれたり、ジュースをくれたりした。これなら食べられる。がんばって食べて元気になるぞと思った。
退院の日、看護師さんは準備を手伝ってくれながら、
「よくがんばったね。二週間もねたきりだったから、歩けるかな。」
とても心配してくれた。でも、なんとか歩くことができた。
退院したわたしは、将来の夢を決めた。看護師だ。お父さんの入院や自分の入院があって大変なとき、看護師さんが支えてくれた。だから、今度はわたしが病気で苦しんでいる人たちを支えたいと思ったからだ。
お父さんが亡くなった一ヶ月後、妹が生まれた。その妹も一さいの時、病気で入院した。お医者さんや看護師さん達のおかげで妹は、元気になった。看護師の中でも「小児科」の看護師になりたいと思った。
月に三回、市役所で「土曜生き生き講座」が開かれている。わたしは、看護師になるためにその講座に通って勉強をがんばっている。
看護師の仕事はコロナで大変だと聞いた。それでもわたしは、病気の人だけではなく、その家族を支え、したわれるような元気いっぱいの看護師になりたい。
将来に向けて
菱刈中学校 三年 橋口 真心
「お母さんみたいになりたい。」
私は母の働く姿を見た後に、母にこう言いました。すると母は、嬉しそうな顔をして仕事の内容を教えてくれました。
私の母は、誰にでも優しく、差別なく接しています。そんな母を私は尊敬しています。母は病院に勤めており、日々、高齢者や障がいを持った方の身の回りのお世話をしています。この仕事に就いて、今年で九年目になるということです。
私は、そんな母が働くところを小さい頃に一度だけ見たことがあります。私が見た母の姿は、足が不自由な高齢者の車いすを優しく押して、病室に入っていく姿でした。私は、仕事は辛いものというイメージを勝手に持っていたので、楽しそうに働く母の姿に大変驚きました。こんな病院ではよく見られる光景ですが、その姿を見た私にとっては、「母のようになりたい。」と目標を見つけた瞬間でもありました。
そこから私は、介護福祉士という職業があることを知りました。母や学校の先生に聞いたり、自分でインターネットで調べたりして介護福祉士になるには資格が必要だということも知りました。介護福祉士になるには国家試験に合格しなければいけません。
国家試験に向けての道として三つのルートがあります。一つ目は、高校卒業後に養成施設に二年間通って勉強する方法。二つ目は、福祉系の高校を卒業する方法。三つ目は、実務経験を三年積む方法です。
三通りの道がある中で、私が進むべき道というのが実はまだ決められていません。介護福祉士という夢は決まっているものの、どの道を進むことが私に合っているのかが見極められていないのです。そんな進路選択に迷っている私は、母にいろいろな相談をしています。
「今の介護の仕事をしていて良かったことはある?」
と聞いたこともありました。すると母は少し考えて、
「昔からおばあちゃん子だったから、こうやって、おじいちゃん・おばあちゃんとふれ合うことも楽しいし、ご飯とかお風呂に入るお手伝いをしたときに『ありがとう。』って笑顔で言ってもらった時には特にやりがいを感じるよ。」
と教えてくれました。母は本当に今の仕事が好きなのだなと思いました。
そして、母は病院で働き始めた理由も教えてくれました。母は大好きだった祖母を高校生の時に亡くしたということです。その時に、何もしてあげられなかったことを後悔しているといいます。そして、
「亡くなってからじゃ何もしてあげられないから、おじいちゃん・おばあちゃんを大事にしなさいね。」
と言いました。改めて母を尊敬した瞬間でもありました。
病院で働くことは大変な仕事だと思います。しかし、母の楽しそうに仕事に行く姿を見て私も母のようになりたいと思っています。母は日頃から、「医療に直接携わることができなくても、笑顔だけで患者さんを元気にしてあげることができる。」と口癖のように言っています。
母を目標に、介護福祉士になることを目標に、自分のしたいことを実現することを目標に、中学三年生になった今は勉強を頑張ろうと思っています。面倒くさいから。まだ時間はあるから大丈夫などという気持ちに負けないように、みんなで頑張り、みんなで合格して、それぞれの夢に向かっていけるようにしたいです。
母の言葉や夢を叶えられるように、未来で輝くことができるように、これから頑張っていきたいと思います。
感動とその裏側
大口高校 二年 有満 万結香
「パチパチパチパチ」
少ない音だった。今、平出水全体でこの少なく、でも壮大な音がそれぞれの場所で響き渡っていただろう。たったの十分間だったかもしれない。しかし、空を見上げた全ての目に光り輝き、焼きついただろう。そして、感動を与えただろう。あの「ドーン‼」と光り輝いた華が。
私が住む平出水は毎年恒例の伝統ある夏祭りがある。今年は、今も世界を騒がせているコロナウィルスで生憎の中止となってしまった。平出水小学校の校庭に地域そして校区外の方々が集まり、全員揃って同じ場所から大きな夜空を見上げる花火も今年は見られない。「おー!」という歓声、「すごーい!」「きれい!」という感動はないのだと少し悲しくそして寂しく思っていた。
夏祭りが開催される予定だった日の午後四時、自治会の放送でとても嬉しいお知らせが飛び込んできた。それは、
「今夜、午後八時にサプライズ花火の打ち上げを行う。」
というものだった。私は跳び上がるくらい嬉しかった。午後七時五十分、母、姉、私は毎年夏祭りに行く時と同じように、全身に虫よけスプレーを振り掛け、心を弾ませ家を出た。私が住んでいる自治体で一番きれいに見えるだろうという所に歩いて行った。そこには一家族、うちわを持ち、楽しみそうな顔で木の長椅子に腰掛けていた。そして、午後八時。「ヒュー」という音が、虫の鳴き声に混り、「ドーン」と大きな音とともに、夏の夜空に大きな光りの華が咲いた。次から次へと少し間隔をあけながら打ち上がってゆく夏の夜華。それは、すごくたくさんの量の花火ではなかったかもしれない。でも、その一つ一つの華が見ている人、一人一人に何かを伝えてくれているように私の目に映った。勇気・希望そして感動。私はこれを伝えているように感じた。なぜこう見えたか。それは、打ち上げに関わった方々の想いがあったからである。
『出来ないことを探すのではなく、今こんな状況だからこそやれることをやっていこう。』
父がこの想いを教えてくれた。父は平出水消防団のOBで、この打ち上げの場に行っていた。その時に言っていた言葉なんだそうだ。花火師さん、消防団の方々、サプライズ花火の予定を立ててくださった方々、全員の想いが打ち上げ華火として私たちの心に届いたのだと思う。
フィナーレ。次々と「ヒューッ ドーン」と音とともに夜空へ上がって行く大きな大きな華。そして、少なく、でも壮大な拍手がそこに響き渡った。感動、そして感謝の拍手だろう。この拍手は平出水のそれぞれの場所でやむことはなかっただろう。
私たちの知らないところで、たくさんの方々が協力して花火を打ち上げてくださった。花火師さんが花火に準備をしてくださっても、安全確認、そして、もし火事になってしまった時に消火をしてくださる消防の方、消防団の方がいなければ、安全に花火の打ち上げができなかったのだ。たくさんの方々の協力、助け合い、そして想いが一つになったとき、誰かの心に響く、何かすばらしいことが起きる。今のこの状況の中で花火の打ち上げをしてくださったことに本当に感謝だ。
私はこの花火を通して、「感動」「たくさんの方の協力」「助け合い」の力を学んだ。私にも今この状況だからこそ何かできることがあるのではないだろうか。誰かのために出来ることがあるのではないだろうか。考えるがまだ分からない。でも一つだけ分かることがある。それは、自分の周りにいる友達、家族に感謝することである。そうすることで、自然と思いやりの心、助け合いの心が表れると思う。以前、「誰かを笑顔に出来る人は自分の近くにいる人を大事にしている。」という言葉を見たことがある。私は一番身近にいる家族に感謝できているかと聞かれて「はい」と言えるかと問われると自信を持って「はい」とは言えないかもしれない。だから、まずは自分の身の周りにいる人に感謝できるように自分が変わらなければならないと思う。そして、いつでも「思いやりの心」「助け合いの心」を持っていられる人になろうと思う。
今、このような状況であるからこそ、この二つの「心」が一番必要だと思う。いつでもどんな状況でも誰かのためにという心を忘れない人でありたい。
- こんな時には?