子どもたちに心をよせて~”風薫る伊佐”より
2011年05月02日
”伊佐の五月”はドラゴンカップから始まります。湯之尾川内川の静かな水面に横一線に並ぶドラゴンボートが、いっせいに水しぶきを上げて競り漕ぐさまは絵になります。今年は季節の移ろいが遅く、1日はまだ初夏とは言えぬ晩春の趣でした。アスリート軍団の力強いパドルさばきは迫力満点ですし、子ども達のドラゴンボートは楽しさでいっぱいです。集落や職場の仲間での参加も多く、にわか仕立てのチームもコースを右や左に苦労しながらゴールしていました。湯之尾のコースは県民体育大会のカヌー競技でも評価の高いコースです。
東日本大震災により全国的にイベントが自粛される傾向にあります。確かに気持ちの上では華やかなイベントには違和感を覚えますが、イベントをいい機会として募金活動をしたり、被災者への思いやりを今一度みんなで共有するのも大切です。3日には菱刈カントリーエレベーター前で”アートトラック”が集合し、チャリティー撮影会があります。主催するのは地元で「お米づくり日本一」を目指す若者グループ”龍桜船団”です。イベントを通じて青少年育成や交通安全を啓発する仲間達です。驚くほどの華やかな装飾を施したトラックを楽しんでください。
15日午後から羽月西小学校の創立100周年記念式典が、同小学校体育館で行なわれます。歴史をたどれば、明治9年(1876年)に分教所が設立されています。西南の役の一年前です。明治44年(1911年)5月16日に新校舎へ移転されたのを機に、この日を創立記念日とされました。今は歴史的建造物となっている曽木発電所遺構が、日窒曽木発電所として動き始めたばかりの頃です。大正・昭和・戦後の歴史の中で、羽月村立・大口市立・伊佐市立と変遷してきました。地元ボランティア・校区安全見守り隊が県学校安全優良団体表彰を平成22年2月に受賞したのも、この100周年に花を添 えました。
100年の長い歴史の中では戦争や災害など色々なことが記憶として地域や卒業生に残っていることでしょう。3月11日に起きた大震災・大津波のことがどうしても重なってしまいます。被災地の多くの学校もそれぞれのすばらしい歴史があります。そこにはたくさんの卒業生がいます。悲しみのどん底だろうと思います。しかし、悲しんでばかりもいられません。新学期になり、まさに「学び」の中にいる児童生徒にとっては、現実の厳しさを乗り越えていかなければなりません。被災地の子ども達に心をいつも寄せておくことが大切です。支援についてのご相談がありましたら、遠慮なく市役所総務課までご連絡ください。
先月初めから伊佐市は、宮城県南三陸町へ職員を支援隊として派遣しています。「 何かできる ことはないだろうか」という気持ちでお手伝いに行っていますが、帰ってきた職員からの報告は、「悲しみのどん底にあるはずの被災者の方々から逆に元気をいただいた」というもので、考えてもみないことでした。東北の皆さんの芯の強さかもしれませんが、悲しみや辛さも極限に至ると、「笑って 明日へ向かう」気持ちへ変わるのかもしれません。私の大好きな花”たんぽぽ”は本当に強くて優しい花です。どんな ところにでも根付き、鮮やかな 黄色い花を咲かせます。
震災や原発に危機管理の目が向いていますが、伊佐市の懸念される災害としては、浸水や土砂崩れを伴う豪雨災害と地震です。各校区のコミュニティ協議会を自治組織の中心として、障がい者や高齢者の安否確認、防災の研修を行なっていただいています。
昨年の今頃は、家畜の伝染病「口蹄疫」の防疫作業を幹線道路数か所で行なっていました。24時間体制の3交替で人員配置をし、災害協定を結んでいる建設業者の応援をもらって3か月続け、幸いに伊佐市への疫病の侵入を防ぐことができました。今年は市内各農場や畜産農家の消毒の徹底に努めています。韓国や中国など日本を取り巻くアジア諸国は口蹄疫に汚染され、蔓延しているので油断大敵です。
“風薫る”と表現されるように、5月は一年の中でもっとも過ごしやすい 月と言われます。勇壮なこいのぼりが青空に見事な姿を見せてくれます。親はいつも子どものことを思い、夢を託すものです。こいのぼりはその象徴でもあります。おぎゃー献金祈念堂横の「子ども交流支援センター笑(スマイル)」は、いつも笑いがたえません。隣に産婦人科クリニックもあります。「たんぽぽ」での療育が注目される時代になりました。詩人まど・みちおさんの「♪ぞうさん」に母と子の平和な姿を見るように、五月は子育てを考える月間であってもいいのではないでしょうか。
カラカラと笑え泣くなよ鯉のぼり
今を生き明日も生きよとツバメ飛ぶ
法華経と聞こゆる老鶯美しき
種籾を水に浸して立夏かな -新-
- こんな時には?