子どもは地域の宝
2012年09月01日
残暑がいつまでも続きますが、夏の疲れが取れないままに、秋の様々なイベントの準備でお忙しい方も多いのではないでしょうか。子どもたちの賑やかな声が学校に戻ってきました。交通安全を願う交差点での立硝も、夏休みの朝は寂しい限りでしたので、登校する元気な子どもたちの挨拶に励まされます。子どもは地域の宝ということを実感します。真っ黒に日焼けした顔は海やプールで泳いだのでしょうか、それとも部活の練習でしょうか。二学期に入り最初に取り組むのは運動会の練習でしょう。この時期、熱中症にはまだまだ気をつけてほしいです。友達と再会した喜びと、一緒に練習する楽しさの中で子どもたちは成長するのでしょう。
学校が開放的で児童・生徒が大いに体を動かし、先生方もひとつの目標に向かっている学校には〝いじめ〟なんて存在しないと思います。開放的でない学校に限って問題が起きるような気がします。影や隠れた部分があると必ず余計な憶測が出てきます。先生が児童・生徒に正面から向き合い、「良いことは良い、悪いことは悪い」とはっきり言えることが大切です。子どもたちが先生と一緒に過ごす時間は、両親と過ごす時間より多いかもしれません。共働きや交代制勤務の多い現代の雇用環境では、学校が児童・生徒の状況を充分把握して教育活動を進めることがますます重要になってきています。
9月は比較的学校と地域が協力し合う行事が多い月です。運動会や敬老会など子どもたちと地域の人々とのふれあいも多くなります。高齢者にお祝いのお葉書を書いて届ける小学校があります。とても喜ばれています。喜んでいただくと、子どもたちはいっそうお年寄りをいたわるようになります。言葉に依らない人間教育です。昔は大家族や向こう三軒両隣の生活環境でしたので、自然なかたちで人間関係やコミュニケーション力を学べました。現代はそのような機能が失われましたので〝どこか〟で〝誰か〟が教えてやらなければ、次の時代へは大和魂・大和撫子や武士道精神は引き継がれないような気がします。
〝どこかで〟が運動会や敬老会であり、〝誰か〟が地域の人々や先生方です。運動会は学校で行われるので地域の人が学校に集まります。敬老会はかつては学校単位で開催されることが多かったのですが、現在では集落単位が多くなりました。先生方が分担して各集落へ来ることで子どもたちはとても喜ぶでしょう。十五夜も同じことが言えます。親の前で先生と仲良くしている姿を見せたい子どももいるでしょう。親と先生が語らっている良い雰囲気を喜ぶ生徒もいるでしょう。子どもたちは親といる時間より学校にいる時間が長いので、先生と自分の姿を親に見せたいのです。教育とはこのような中にさりげなくあるものではないでしょうか。
夏休みの間に〝いじめ〟に関する嫌なニュースが多かったので、今月は教育についての断片的ではありますが、私の考えを運動会や敬老会、十五夜などの地域と学校の関係において述べました。皆さまはいかがお考えでしょうか。それぞれの地域や集落において、保護者であろうとなかろうと地域の子どもたちに声をかけてください。子どもは宝と言いますが、それは親や地域、先生が正しく育ててこそダイヤモンドや金になります。9月は日曜日ごとに高校・小学校・中学校・保育園・幼稚園のどこかで運動会があります。16日を中心にその前後がそれぞれに敬老行事です。十五夜は30日です。ご参加いただきたいと思います。
私は朝のウォーキングを続けていますが、週に1~2回の水泳は7月から休んでいます。何かと忙しい日々が続き、家族や周囲の人を巻き込んでの慌しさなので、自分ひとり悠然とプールで泳いでいる気になれないのです。やや運動不足気味ですが、9月は体を動かす機会が多いのでなんとか取り戻します。来月の人吉との剣道大会に備えて練習も再開しなければなりません。還暦からの手習いで始めた剣道も、人吉市長との対戦のみの役割しか果たしておりません。それでも見苦しいことはできませんので、今月は毎週水曜日が練習日になっていますので、慌しい中ですが真面目に取り組みたいと思います。皆さまも秋めく伊佐の大地や星空を楽しみながら、体に良いこと始めてみてはいかがでしょうか。
野分けあと虹立つ空に手を合わす
稲妻に天地相和し稲孕む
万国旗今も昔も校庭に
名月やビルの谷間にふるさとに
志士眠る墓地の静けさ彼岸花 -新―- こんな時には?