伊佐市二期目のスタート
2012年12月01日
「師走」という言葉にある種のあわただしさを誰もが同じように感じるでしょう。日本人特有の感性なのかもしれません。元旦を1年の始まりとし、大晦日を終わりとする古来から受け継がれている生活文化がそうさせるのでしょう。ゆったりとした落ち着きのある晴れ晴れしい正月を楽しむために、忙しくせわしい月を神様がわざとお造りになったので しょう。伊佐市がスタートした平成20年の「師走」に、新市の市長・市議会議員も誕生しました。合併後最初の一期4年が過ぎ、市長・市議会議員の選挙が先月行われました。初議会が3日に予定されていて、新しい議員の構成で新議長が決まります。私も市民の皆様から信任をいただき、二期目に取り組むことになりました。感謝申し上げるとともに、市長の責任の重さを実感しております。今後ともご指導のほどよろしくお願いします。
今回の市長選挙は4名が立候補しました。それぞれの候補者が市政発展のために主張を繰り広げました。4年前は無投票で市長が決まったので、今回が事実上の市民の皆様が選んだ市長ということになりました。議員選挙は大口・菱刈地区の選挙区制を廃止し、定数を18名に減員しての選挙でした。市の抱える課題はたくさんあります。まず、市民の生命財産が安心・安全であることを基本にしながら、少子高齢化・人口減少の中でいかに活力ある市にしていくかが大きな課題です。雇用の確保を最優先に既存企業の発展や企業誘致に取り組まなければなりません。コミュニティー活動の充実とともに、若者の活動の機会を更に多くすることも大切です。いつの時代も地方や国を牽引したのは若者だったはずです。
国政も衆議院解散後は各党が政権公約を国民に明示し、低迷する日本をいかに脱却し上昇気流に乗せることができるかを訴えています。一覧表にしても覚えきれないほどのあまりにも多い政党の乱立にうんざりする反面、それでも政治に希望を託さなければならない現実に向き合っているのが、国民一人ひとりの現状ではないでしょうか。歴史は繰り返されると言われますが、現状と似通った時代はいつだったのだろうと考える時、思い浮かぶのは大正から昭和に移行する頃です。日露戦争から第二次世界大戦までのちょうど中間に位置している頃で、当時は多党というより指導者が入れ替わるという意味で象徴的です。
日露戦争は明治の元勲が勝利をもたらしたと言ってもいいと思います。その後、陸軍士官学校、陸軍大学校や帝国大卒などエリートの出現により、藩閥政治から政党政治へと移行するのですが、この過渡期において明治の元勲たちが相次いでこの世を去っていきます。1921年原敬首相の暗殺、1922年山県有朋の死去、大隈重信が84年の生涯を閉じたのも1922年でした。藩閥から政党を経て軍へと移り変わる国内権力構造が今の私たちの時代に似ているような気がするのです。元勲に相当する大物政治家が引退し、戦後の裕福な時代に育ったエリートが与野党問わずリーダーになりつつあります。
いつの時代でも警鐘を鳴らす人がいます。与謝野馨さんがテレビのインタビューで「このままでいけば2020年には日本は最悪な状態になるだろう」と、語っておられました。21世紀に入り、始まった衰退の道程を小手先だけで修復し続けてきたように思います。もう限界が近いのかなぁと、与謝野さんの言葉を聞きながら思うことでした。明治の元勲がこの世を去り100年、あと8年の間にそうならないように国家のリーダーには命がけで取り組んでほしいです。地方の健全な自治体運営の責任者である私としては、市民に不利益が生じないように施策を進めることを肝に銘じています。健全な財政運営を行うことができる自治体が国家の土台であることを国に認識させたいと思います。
私が二期目のスタートということや国政選挙も行われる12月ということで、少し政治的な内容になりました。肩に力が入ったような堅苦しいあいさつになったことをお許しください。大正時代から昭和初期の歴史は個人的にとても興味深い時代なのです。それは、祖父隈元定夫が旧山野村の村長をしていた大正4年(1915年)から昭和8年(1933年)、日露戦争後から第二次世界大戦前にかけての時代です。私が現在行政を担わさせてもらっている平成の時代背景と祖父が行政を担った大正から昭和初期が、偶然どちらも閉塞感が漂っているのではないかという感覚を覚えるのです。引退した後の祖父の姿しか知らない私ですが、幼年期に接した祖父の記憶がなぜか鮮明に残っています。
師走というあわただしい中でのスタートとなった自治第二期目の伊佐市です。皆様のご協力がとても必要な自治でありますし、議員・市長・職員の真摯な取り組みがとても重要です。鹿児島県人会を始め多くの伊佐市ファンの皆様のご指導やご支援にも思いを馳せているところです。よろしくお願いいたします。銀杏や紅葉はすっかり落ちてしまいましたが、練習に励む駅伝選手から蒸気のような湯気が立ち、コミュニティー活動の充実とともに、田んぼにはひとつふたつと鬼火焚きの櫓が立ち始めました。街にはクリスマスキャロルが流れています。やがて神社や田の神様を新しい締め縄で飾る頃になり、このあわただしさは静かな新年を待つ大晦日・除夜の鐘へと落ち着いていくことでしょう。
灯り消え残る静けさイブの夜
街灯を濡らし小雪の舞いはじむ
見抜かるる心隠せず寒の月
木枯らしの逃げゆく先は怒涛なり
善き悪しきすべて包みて除夜の鐘 -新-
- こんな時には?