花いっぱいに春めく ふるさと
2013年03月01日
3月弥生は、私にはどうしても「卒業」のイメージが強いものです。この挨拶を市ホームページにアップする3月1日は大口高校、伊佐農林高校、医師会立准看護学校の卒業式が行われます。2日は明光学園高等学校の卒業式でもあります。13日が中学校4校、22日が小学校14校の卒業式です。桃や桜の花がその雰囲気をいっそう引き立ててくれます。日本の3月を終わりとする学校の制度や官公庁の会計年度が、社会に確立していることが3月を自然と卒業のイメージにしてくれるのでしょう。3月卒業、4月入社で定年制を取り入れる日本の雇用形態も定着したのです。
戦後の日本を発展させてきた要因の一つに、定年制やベースアップを含む給与体系があり、雇用の安定性を保っていました。現代は必ずしも雇用が安定しているとは言えませんが、今年も3月には多くの卒業生が進学や就職でこの町を巣立っていきます。高校を卒業する人数だけ人口が一時的に減少します。送り出す側にとっては、喜びの中にも今後の不安と寂しさを感じます。”可愛い子には旅をさせよ”と昔の人は言いました。旅は帰ってくる場所があるから”旅”であって、帰る場所がなければそれはただの”放浪”だと言う山頭火の好きな友達がいます。
私も45年前に大口高校を卒業して京都に出ました。以後10年間関西で過ごし、父の病気をきっかけに帰省して、養鶏業を継ぎました。結果的には旅の途中で、呼び出しを受け、帰ってきたということになるのでしょうか。18歳から27歳までの10年間に学んだことが、今このような仕事をさせてもらう上で直接役立つものは多くありません。しかし、音楽や映画や文学との出会い、新しい人との出会いなど体と心が感じたものが、今を生きる私の人生を豊かにしてくれています。悩みやストレスが少ないのは、青春時代を思いっきり自由に生きたお陰だと感謝しています。
高校の卒業式は自分の受験日程と重なり出席できなかったと記憶しています。成人式も帰省しませんでしたので、故郷はしばらくの間ほとんど考えたことはありませんでした。現代の若者がどうか解りませんが、私はいかに早く田舎を出て都会に行くことばかり考えていました。まだ見ぬもの、知らぬことへの憧れがありました。自分の能力や学力は横において、やる気と運があればなんとかなるのではないかという楽観論者でした。この春卒業する若者にも夢と憧れはあると思いますが、情報があふれる時代に大きな風船がしぼまなければいいがなぁ、と心配します。
卒業する友達との別れに寂しさはありますが、お互い将来の夢に向かって旅立ち、再会する日を楽しみに頑張ってほしいと思います。友達はよき相談相手でもありますが、よきライバルでもあります。卒業式の頃に流れる歌を聴きながら若者の限りない将来を羨ましく感じています。私の世代は赤い鳥の”♪翼をください”でしたが、今ではkiroroの”♪未来へ”を聴くことが多くなりました。1983年の柏原芳恵の歌った”♪春なのに”もこの時期になるとラジオから流れてきます。♪記念にくださいボタンをひとつ青い空に捨てます~♪・・このフレーズが好きですね。
3月11日は東日本大震災発生から2年が過ぎたことになります。二人の伊佐市職員が昨年から宮城県南三陸町で働いています。この3月までを一期として次の二人の職員が4月からは引き続き働きます。私も18日に南三陸町を訪れることにしています。3回目の訪 問になります。職員派遣による支援は5年間続けるつもりです。被災地では卒業できなかった児童・生徒のことが、この時期になると思い出されるでしょう。どんなに月日が経っても忘れられるものではありません。悲しみも喜びも被災された方々と一緒に分かち合える職員に、この一年間でなったと思います。
桜の開花を控えて季節がどんどん春に向かっていきます。各校区では様々な催しが毎週どこかでおこなわれます。10日に曽木校区と針持校区、17日が田中校区のウォーキング大会、同じく本城校区では おきな草祭、10日には大口ふれあいセンターで震災孤児チャリティーコンサート、9・10日は大口商店街の春の市です。桃の節句の”さげもん”としてブームになっている”福かざり”も商店街にお越しの際、お立ち寄りください。ふるさとが花いっぱいに春めきます。東京をはじめ各地区ふるさと会の役員の皆様に一同にお集まりいただき、市制5周年記念式典の打ち合わせも16日には予定しております。
<ふるさとの山に向かいて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな -啄木->
花に会ひ花と別れる明光坂
水温むうすき魚影の見え隠れ
肥の匂ひ命つなぎて土耕す
女湯に懐かし声する春の宵
恋猫の眠れる夜の月明かり -新-
- こんな時には?