伊佐の夏休み
2015年07月31日
“トカゲの子 ポケットに入れた 夏休み -宮永大地-”(平成23年度)
“セミの声 聞きつつねらう ピッチャー返し -池内尚希-”(平成24年度)
この二句は、伊佐市教育委員会が毎年行っている「黄金の俳句コンクール」の大賞に輝いた作品です。いずれも小学生の俳句です。夏休みの情景を見事に詠んでいます。子どもたちの感性は、時間がゆっくり流れる自然豊かな環境の下で磨かれていくのでしょう。大人は技巧を凝らしすぎたり、評価されようとする気持がどうしても作品に出てしまいます。春夏秋冬にそれぞれの季節感があって、それなりに俳句に反映されるのですが、子どもたちにとっての”夏”は夏休みのことであり、子どもたちがもっとも自由な子どものままでいる時空間です。せっかくの夏休みなので、ふるさとへの帰省を兼ねて、子どもさんやお孫さんと一緒に伊佐の空気を胸いっぱい吸ってみませんか。
今年は6月から雨の日が多く、7月10日ぐらいに梅雨明けとなるのではないかと期待したのですが、度重なる台風の接近で大気が不安定な状態が続いていました。8月になり、今までの分まで取り戻すほどのお天気であってほしいのですが、一方では熱中症などに気をつけなければなりません。日本のような国では、科学技術が人間の体力的に耐える力をカバーしてくれるので、人間が本来動物として持っている抵抗力や耐性を弱めてしまっているように思います。地球温暖化やオゾン層破壊による影響もあるかもしれませんが、平成を生きる私たちは、昭和の時代を生き抜いた人々に比べれば確実に抵抗力や忍耐力が衰えているように感じます。
立秋が今月の8日ですので、暦の上では秋ということになり、残暑お見舞いの挨拶に夏の終わりが近づくのを感じます。市長になる以前、議員をしながら養鶏場で働く頃は、立秋を過ぎると朝夕の空気の冷涼さを感じるものでした。水俣市境の標高450メートルほどの高地に位置した養鶏場は、下場の夏を忘れるほどでしたが、クーラーもない扇風機だけが回っている作業場で汗を拭きふきながら、時にはアイスキャンディーをかじり、スイカにかぶりつきながら働いたものでした。当時小中学生だった二人の子どもも、よその子等は遊んでいるのに、夏休みはほぼ毎日養鶏場の手伝いをしてくれたものでした。
夏休みに家のお手伝いをすることが無くなったのが現代の特徴です。一昔前の夏休みは、勉強とお手伝いと遊びがメリハリよく組み合わさっていました。社会の発展期においてはそれぞれに意義があり、みんなが共有できる一般性が社会の連帯を作っていました。高度化した社会では専門性が強くなり、社会も分業制になり、孤立感の中で仕事や遊びをすることにもなりかねません。自分一人だけで聴く音楽や、ひとりでゲームに夢中になっている姿は短い時間に留めてほしい。せめて夏休みだけは、みんなで共有できる時空間をつくってほしい。幸い伊佐は、校区コミュニティーや企業などで夏祭りが行われますので、家族と、友達と、知らないみんなとも大いに楽しんでください。
今年の花火大会は、1日(土)に大口西水流河川敷で開催です。同日、羽月北校区では旧小学校で夏祭りです。2日(日)山野地区球技大会、3日(月)人権同和教育研修会を文化会館で開催します。8日(土)は羽月校区夏祭りと大一会の夏祭り、9日(日)針持校区の夏祭り、同じく昼間には国分春山緑地公園で県消防協会姶良伊佐支部球技大会が行われ、ソフトボールの試合があります。お盆は各校区で夏祭りが盛んになります。13日(木)平出水校区、14日(金)山野校区、15日(土)田中校区、牛尾校区、16日(月)曽木校区、残暑の28日(金)にジャパンファームの夏祭りを伊佐市体育センター前駐車場にて盛大に開催していただきます。
15日(土)の終戦記念日は、お昼から文化会館において伊佐市戦没者追悼式を執り行います。今年は戦後70年という節目の年にあたり、記念すべき追悼式です。多くの皆様にご列席いただければありがたいと思っています。戦後復興から成長、発展、成熟社会へとなった今、日本人はその過程にあって何を思い、何をめざしてきたのか静かに考えてみたいものです。戦時中の疎開がご縁で、姉妹都市として交流している喜界町からのご訪問が17・18日(月・火)に予定されています。同じく姉妹都市である西之表市の種子島鉄砲祭りに、丸田市議会議長とともに私が22・23日(土・日)に参ります。23日(日)の文化会館では、伊佐ふるさと大使の榎木孝明さんもご来場いただき、映画「スクール・オブ・ナーシング」(人吉市が舞台の看護学生物語)の特別上映会が13時30分(開場13時)より開催されます。
盆トンボが早くから飛び交い、最初に庭で見かけた大きなトンボはきっとおじいちゃんだよ、と家族ではこの季節の決まり言葉になっています。13年忌がとうに過ぎても毎日遺影にお水とお茶を供え、ご飯が炊けたらそれも供えて手を合わす。毎月命日の3日には特別に好きだった団子を供えて、自分たちもごちそうになります。90歳になる母と一緒に暮らしていると、遺影の父ではありますが、まだ一緒に暮らしているような気がします。「盂蘭盆会」、サンスクリッド語だそうですが、好きな言葉の響きです。彼岸からしばし此岸のふるさとへ、お帰りになるご先祖様をみんなでお迎えしましょう。
白球に遠き記憶の甲子園
彼岸此岸線香花火を囲む顔
夕立に浴衣濡らして急ぎおり
夏色の女になれず終わる夏
夕暮れに時を惜しみて蝉の声 -新ー
- こんな時には?