おぎゃー献金60周年
2024年08月01日
梅雨も明け、うだるような暑さの毎日ですが、皆さんお元気でお過ごしでしょうか?熱中症対策をはじめ新型コロナ等の予防をしっかり行いながら、体調管理には十分お気を付けくださいますようよろしくお願いします。
最近は、「『市長の部屋』を読んでいますよ。」と嬉しい声をたくさん聞くようになり、大変喜んで書いています。いつも飽きずに読んでいただいている皆さんありがとうございます。そして、暑中お見舞い申し上げます。
今月の表題に関係しているのですが、7月7日に、おぎゃー献金運動六十周年記念祝賀会が、グランドプリンスホテル新高輪で行われ、私も来賓として出席させていただきました。その前段として、6月2日に、公益財団法人日母おぎゃー献金基金の石渡勇理事長(公益社団法人日本産婦人科医会長)が、伊佐市子ども発達支援センターたんぽぽ(以下「たんぽぽ」という。)とおぎゃー献金記念堂の視察にお見えになり、当日お出迎えさせていただいたときに石渡理事長より直接「おぎゃー献金運動六十周年記念祝賀会」の招待状を手渡していただきました。
また、昨年10月27日には秋篠宮文仁親王同妃両殿下のたんぽぽとおぎゃー献金記念堂の御成りが実現し、伊佐市市民にとって大変励みになり盛り上がったばかりでしたが、六十周年記念祝賀会にも文仁親王妃紀子様が御成りになると教えていただいたことも相まって、感謝の気持ちで出席させていただきました。
当日は、予定した飛行機の欠航あり、その後予約し直した便の大幅な遅れありで、11時開始の式典に間に合うことは不可能となりました。その後、必死になって会場を目指し、汗だくで会場に到着したのが祝賀会開始時刻の丁度午後12時でした。
何とか午後12時開始の祝賀会には出席することができました。会場には、秋篠宮文仁親王紀子様をはじめ、日母おぎゃー献金基金石渡勇会長、宮崎亮一郎専務理事、日本医師会濵口欣也常務理事(同じ名前で会話が盛り上がる)、鹿児島県産婦人科医会榎園会長、堂園副会長等と多くの会話をさせていただくことができました。
祝賀会場では昨年10月27日に秋篠宮文仁親王同妃両殿下とたんぽぽの子どもたちが走り回りながら笑顔で交流されたときの映像が流されましたので、タイミングを見計らい突撃で文仁親王殿下妃紀子様へあいさつに行きました。予定外の突然のあいさつに戸惑うこともなく「あの時はお世話になりましたね。伊佐市の皆さんによろしくお伝えくださいね。」と笑顔でお言葉をかけていただき感激しました。
朝からトラブル続きの中に必死で会場を目指した祝賀会でしたが、伊佐市の子育て支援政策に何かいいことが起こりそうな嬉しい予感を感じながら会場を後にしました。今後建設を予定している、ルピナス(子育て支援センター)や第3の居場所をはじめ特別支援学校の整備についても、いいフォローの風が吹いていくような嬉しくなる予感がしました。
この日はおまけ付きで、帰りの便も整備不良の影響で、搭乗カウンターの変更と出発時間の大幅な遅れがありましたが、このことも含めて私にとって忘れられない素晴らしい1日となりました。真夏のスーツとネクタイで徒歩での移動は、汗が噴き出すほどでしたが、どこかに、これが夏だと言い聞かせながら笑顔の私でした。(笑)
この献金運動は、昭和38年、重症心身障がい児の三姉妹に救いの手をさしのべた、伊佐市(旧大口市)で産婦人科を開業していた遠矢善栄先生の善意から、「おぎゃー献金運動」が始まりました。近くに住む重症心身障害児の三姉妹と出会い、何とか救済してあげたいものといろいろと手を尽くされましたが、当時一部の軽症者を除いては、重症心身障害児の収容の道は固く閉ざされていることを知りました。そこでこのような子供たちに少しでも救いの手を差し伸べたいと考え、健康な赤ちゃんを産んだお母さまと、出産に立ち合った医師や看護師たちが「愛の献金」をと発案されたのがこの運動の発端でした。
遠矢先生の提案により、当時の日本母性保護医協会鹿児島県支部ではこの運動を「おぎゃー献金」と名付け、早速昭和39年1月から県内で運動を開始しましたが、さらに全国的に広めたいと、日産婦本部に提案しました。そこで昭和39年3月開催の定期総会にはかったところ満場一致で可決され、同年7月1日、東大分院講堂において「おぎゃー献金全国運動発足の集い」が開催され今年で60週年迎えることになりました。
現在、遠矢医院跡地には、おぎゃー献金記念堂と伊佐市子ども発達支援センターたんぽぽが整備されています。また遠矢先生の没後17年忌及びおぎゃー献金45周年を迎えたことを記念する「記念碑」が、遺族・鹿児島県産婦人科医会・関係者によって建設されました。伊佐市はおぎゃー献金発祥の地として広く認知され、遠矢先生の崇高な精神が今も息づいているのです。
ちなみに私が生まれたのが昭和39年4月ですので、おぎゃー献金と私は同じ年ということになります。私が誕生した年に、本来日本人が持ち合わせていた思いやりと崇高な精神の集結によって、このような素晴らしい活動が伊佐市から生まれたことに、私の勝手な思い込みですが大きなご縁を感じ嬉しい気持ちで溢れています。
先日、ある市民からこんな手紙をいただきました。
「前略 突然の手紙を差し上げ、さぞ驚かれているものと思います。誠に申し訳ございません。実は先日、私が散歩中、大口東小の生徒さんと出会い、大変驚いたことを目にし、どうしても私の胸の中だけでは納めておけず、このように一筆したためた訳でございます。先日、天気のいい午後一時過ぎでしょか?私が散歩をしていると大口東小近くで一人の男子生徒に会いました。その子はなんと立ち止まり膝に手をついて一礼をし「こんにちは」と大きな声で私にあいさつをしたではありませんか。私はその行動に驚いたことは勿論であります。「今何年生?今日は帰りが早いね。」と尋ねると、その子は、「小学3年生で、今日は家庭訪問の日で、午前中で終わりなのです。」と発したのです。私はこの小学生の行動に驚嘆してしまい・・・・(中略)。指導して下さる先生方の益々のご健勝と生徒たちの益々の成長をお祈りしております。追伸 驚くことはこればかりではありません。もし機会があれば報告したいと存じます。」
本当に感動的で元気が溢れるようなお手紙でした。今、大口東小学校のスローガンは、「夢いっぱい 笑顔いっぱい あいさつ・返事日本一」です。私が伊佐市の将来像のひとつに掲げてきた「伊佐市の教育日本一」。教育委員会や伊佐市内の各学校の先生方も同じ方向を向いて頑張っていただいています。私たち大人が口に出しながら言い続けること、その意味を理解することで、確実に、伊佐の教育は日本一が近づいていると感じています。本当に素晴らしいことです。
【今回も職員メールを1通紹介したいと思います。】
「鹿児島県知事選挙と東京都知事選挙と東京都議会議員補欠選挙」
皆さんには大変お世話になりましたが、先日の日曜日は鹿児島県知事選挙の投票日でした。朝早くから暑い中、投票事務や管理者の皆さんは本当にお疲れさまでした。
投票日の私は、昨日のメールで紹介しましたとおり、東京出張でしたので鹿児島空港に着いたのが午後8時過ぎでした。帰りの車に乗り込み、まさかとは思ったのですが当確が出ているかも?と思って電話で確認したら、両知事選挙とも午後8時には当確がテレビの速報で出されたと聞きました。
報道機関によって行われる出口調査の精度の高さは驚くほど正確で、自信をもって、いち早く当確を出したいという気持ちはわかるものの、さすがに各自治体において開票開始と同時に発表されるのはいかがなものかと思ってしまいます。開票に従事している関係者の皆さんには、密室での開票作業になるため当確が出たとの情報は伝わらないものの、さあこれから!というときですから、せめて午後9時ぐらいの発表にならないものかと思います。候補者にとっても全く無神経な対応ではないでしょうか?そんなことを帰宅する車の中で考えながらでした。
今回の選挙結果について皆さんはどんな印象だったでしょうか?東京都と比較して鹿児島県の投票率が低かったことが気になったところでした。伊佐市でも50%に届かないのは意外でした。ある友人の話では、選挙にいかなかった人がいたので理由を聞いたら、「結果はわかっているから行かなかった」という人もいたそうです。人それぞれだなあと思いましたね。
YouTube配信で東京都知事選挙後に石丸伸二氏や蓮舫氏に対してインタビューする様子が出されていますが、報道関係者の何とも無神経な質問に対して絶句してしまいました。選挙に出馬するということは、大きな犠牲を覚悟した上での決断をしなければなりません。候補者にとっては、当然ですが、当選することしか考えていないはずです(東京都知事選挙の一部の候補者は別で論外ですが)。
石丸伸二候補に対して、「選挙戦当初は3位の予想でしたが、蓮舫氏を抜いて2位になられる状況ですが、嬉しいとお考えですか?」「予想外の風が吹いたと思いますか?」など。当然できずに無念だと思っている候補者に対して、何とも愚問としか言いようがありません。報道機関の一部の人たちによる利益追求型の哲学で正常な報道がなされないのは今に始まったことではありませんが、大きな課題だと考えるべきだと思いますね。土俵にも上がる勇気もない人たちが、評論家となり批判をするような行為はやめませんか?と言いたい気持ちです。
鹿児島県知事選挙でも東京都知事選挙において、当選した候補者にも落選した候補者にも同じように心から応援してくれた人たちがたくさんおられるわけですから、その人たちの想いや行動に対し、感謝の気持ちを持ち続けながら、次からの活動に頑張っていただきたいと思います。
ところで、同日で鹿児島県においても東京都においても議員補欠選挙が行われていましたね。その中で、東京都議会議員補欠選挙(八王子市区)で当選した滝田泰彦氏は、私の友人です。どんな付き合いかというと、滝田泰彦氏は、東京大学在学中に当時、伊佐市の都市交流事業で受け入れを行っていた「地域づくりインターン事業」に参加して伊佐市を好きになってくれた人です。彼は、大学卒業後、三井物産に入り、海外派遣の後帰国し、三井物産を退職し、前々回の東京都議会議員選挙に出馬し当選しました。
そして、今年行われた八王子市長選挙に善戦はしたものの落選しました。丁度その直後に今後の活動についてゆっくり考えたいと屋久島に行き、旅の最後は私に会いたいと言うので市長室に来てもらいました。
市長室では地域づくりインターンの時の話など昔の話で盛り上がりましたが、最後は橋本市長の考えを聞かせてほしいと真剣なまなざしで問われ私の考えを話したのでした。最後に付け加えたのは、「僕が偉そうなことをいう立場にはないけど、あなたのその強い信念が変わらないのであれば状況は好転するのではないかと思います。何故ならば成功者の本にそんなことが書いてあるので私も心がけています。」でした。
そして先日、直前の表明になりましたが、東京都議会議員補欠選挙に出馬することに決断しました。とメールが届きましたので注目していたところです。見事、大差の得票を得て当選でした。4年後は八王子市長選挙に挑戦するそうです。その当時交流した職員もいるので紹介しました。
当選にはならなかったものの、鹿児島県知事選挙や鹿児島県議会議員補欠選挙に勇気をもってチャレンジされた皆さんに、改めて敬意を表したいと思います。本当にお疲れ様でした。
そして当選された方々、本当に当選おめでとうございました。今後のご健勝ご活躍をご祈念申し上げます。
橋本 拝
(7月の行事の主なものについて紹介します。)
7月1日 8時から保護司会「社会を明るくする運動」内閣総理大臣、鹿児島県知事メッセージ伝達式。8時30分から辞令交付式。14時からたんぽぽ親の会役員から表敬訪問。16時から三役連絡会。
7月2日 9時から住友金属鉱山㈱菱刈鉱山から草場前鉱山長、前田新鉱山長来室。15時から川内川河川事務所要望会(SSプラザ川内)。18時より韓国南海郡交流協会総会。
7月3日 15時から第27回行政改革推進本部会議及び第4回DX推進本部会議。17時15分から地域おこし協力隊卒隊セレモニー。18時から伊佐市葉たばこ振興会懇親会。
7月4日~5日 喜界町出張、伊佐市喜界町姉妹都市盟約締結15周年記念植樹祭に出席。喜界町の皆さんの熱烈な歓迎をいただきました。
7月6日 15時から陸上自衛隊第八師団巡回演奏会in鹿児島(みやまコンセール)。
7月7日 おぎゃー献金運動六十周年記念祝賀会(グランドプリンスホテル新高輪)。
7月8日 11時からパリパラリンピックカヌーの日本代表伊佐合宿激励会。
7月9日 8時から子牛セリ市(薩摩中央家畜市場)。13時30分から核廃絶平和行政に関する要望書受取。15時から温泉熱の利活用に関する意見交換会。
7月10日 14時30分から鹿児島県市長会会計監査(鹿児島市)。18時から大口高校歴史講座閉講式。
7月12日 18時30分から自由民主党伊佐支部総会(来賓出席)。
7月13日 11時から大口酒造㈱故向原英作前社長「お別れの会」。お別れのことばを述べさせていただきました。本当にお世話になりありがとうございました。12時から鹿児島県商工会青年部「若い経営者の主張」大会に来賓、審査員として出席。各地区の代表者の発表はどれも素晴らしいものばかりでした。その中でも特に大崎町川森貴裕氏、霧島市山口秀典氏、知名町田中貴規氏の3名に発表は特に素晴らしかったですね。原稿を見ないで10分間のスピーチにまずは感心し、その内容も商工会青年部の活動による地域貢献と自社の経営向上について堂々とした態度で感動しながら聴くことでした。優勝されました霧島市の山口秀典氏には九州大会での健闘をお祈りします。18時からは同懇親会に出席しました。
7月15日 大雨洪水警報発令のために待機でしたが目立った被害は発生しませんでした。
7月16日 8時30分から伊佐市老人クラブ連合会ゲートボール大会で来賓あいさつ。13時から姶良伊佐土木協会監査。14時から伊佐市観光特産協会渕之上会長来室。15時から特産品新商品(日本酒)について説明。
7月17日 10時30分から喜界町金江茂副町長、榮哲治議長来室。11時から瀬戸山氏来室。16時から伊佐市観光特産協会通常総会。
7月18日 10時から奥薩摩水と緑の郷づくり推進協議会通常総会。
7月19日 14時から鹿児島県治山林道協会第12回定時総会。18時30分から大口土地改良区慰労会。
7月20日 8時30分から「社会を明るくする運動」パークゴルフ大会に参加しました。結果は同組の皆さんに恵まれ、思いがけない団体優勝することができました。13時30分から伊佐ふるさと応援大使の榎木孝明氏来室。18時から郡山八幡神社六月灯に参加し、だれやめ狂言「大工の落書き」を鑑賞した後、あいさつを申し上げました。終盤では焼酎利き酒コンテストに参加し、6種類中3種類だけ正解しました。難しいですね。
7月21日 8時30分から姶良伊佐支部消防操法大会(湧水町栗野防災ステーション)。小型ポンプの部で伊佐市消防団10分団が準優勝の成績でした。13時30分からK地区で市政報告会。
7月22日 川内川上流河川改修期成同盟会要望活動(地元選出国会議員)。
7月23日 川内川上流河川改修期成同盟会要望活動(国土交通省)。19時から伊佐ライオンズクラブ例会に新規会員として出席しました。
7月24日 8時から消防課長会。10時から住友金属鉱山㈱菱刈鉱山より伊佐湧水消防組合に対して公用車の贈呈があり、贈呈式を行いました。私は管理者として菱刈鉱山の前田鉱山長に対して感謝のことばを申し上げました。13時30分から伊佐市社会福祉大会第1回実行委員会。
7月25日 13時15分から菱刈公衆浴場運営委員会。15時30分から全日本女子学童軟式野球大会に出場の福元柚花さん(羽月小)と高野瑠愛音さん(大口小)が表敬訪問。2人とも県代表に選ばれ素晴らしいことです。全国大会での大活躍を期待しています。
7月26日 伊佐市みどり推進協議会総会。20時から伊佐市夏祭り花火大会。多くの企業や病院、施設、飲食店、農業団体等の皆さまの善意による協賛金のお陰で7,000発もの花火が打ち上げられ多くの来場者に喜ばれていました。伊佐市夏祭り実行委員をはじめ湯之尾地区、伊佐湧水地区防犯協会(補導センター)、関係者の皆さま本当にお世話になりました。
7月27日 16時30分から伊佐市夏祭りパレードに参加。19時から伊佐市夏祭り総手踊りに参加し楽しく踊ることができました。見物客も多く盛大に行われました。
7月28日 8時30分から第2回国体記念伊佐市ドラゴンボートレース大会が行われ、大会会長として出席しました。小学生から女性チーム、男性チームとそれぞれで順位を競い合い一部では珍レースもありましたが、素晴らしい大会となりました。
7月29日 10時から伊佐市まち、ひと、しごと創生推進本部会議。14時から国道267号改良促進期成会。私は会長としてあいさつと議事進行を行いました。16時から小川夏果さん、UUUM小俣氏来室。16時40分から第39回九州クラブユースU-15サッカー選手権鹿児島県大会優勝報告に飛松FC所属の菱刈中3年橋田 利生(りお)さん、大口中央中 3年大丸 裕新(ゆうしん)さん、大口中央中 3年 須川 陽向(ひなた)さんが市長室に来てくれました。九州代表として大阪府堺市で行われる西日本大会に出場するそうですが、高校になっても高い目標を持ち頑張っていくと力強く語ってくれました。
7月30日 9時30分から来客があり、11時から伊佐市水道事業定例会。13時30分から住友金属鉱山㈱菱刈鉱山入坑見学をさせていただきました。まずは会議室で概要説明とビデオ鑑賞、その後専門の服装に着替えて坑内に専用車で入坑しました。
初めて入坑しましたが、交通安全の指差呼称の徹底、トンネル内整備の充実、温泉排出施設や金鉱石採掘状況等見学させていただき、改めて日本最大の採掘量と今後の豊富な埋蔵量を誇り、現在の日本で唯一採掘されている金鉱山の第一線を見学することができ大変感激しました。貴重な体験に対応いただいた菱刈鉱山の前田鉱山長様、青野課長様、澤津様、橋川様、事務所の皆さま心のこもった対応で本当にありがとうございました。
7月31日 11時から鹿児島県造林協会役員会(鹿児島市)で私は副会長として出席しました。次回も副会長に推薦されました。
最後に、毎日の読書をする中で当然ですが素晴らしい教え受けることがたくさんあります。稲盛和夫先生の一日一言の7月17日、若い人たちへ①私は、若い人たちに強調したいのです。「自分の好きな仕事を求めるよりも、与えられた仕事を好きになることから始めよ」と。自分の好きな仕事を求めても、それは青い鳥を探しているようなものです。そのような幻想を追うよりも、目の前の仕事を好きになることです。7月18日、若い人たちへ②好きになれば、どんな苦労も厭わず、努力を努力と思わず、仕事に打ち込めるようになる。仕事に打ち込めるようになれば、おのずと力がついていく。力がついていけば、必ず成果を生むことができる。成果が出れば、周囲から評価される。評価されれば、更に仕事が好きになる。こうして好循環が始まるのです。まずは、自分の意志で仕事を好きになる。他に方法はありません。そうすることで、人生は実り豊かなものになっていくのです。と書かれています。このことは、仕事に限らず人間関係やそれぞれの活動においても当てはまることなのだろうと解釈できますが、全てに対して同じ感情で接することは実際には難しいことなのかもしれません。しかしそこを目指して行動していこうと思います。
いつも読んでいただきありがとうございます。夢ある伊佐を一緒につくり上げていきましょう。今月もよろしくお願いします。
-灼熱の 汗を力に パドル漕ぐ-
- こんな時には?