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市長メッセージ 「山が動いた」

2024年10月01日

 伊佐平野は黄金一色、穂が実り、伊佐の風物詩となる稲刈りシーズンを迎える時期となり生育も順調のようです。今年になって話題になっている米不足は、減反政策を進めてきた日本においてはあってはならないことだとは思いますが、基幹産業を農業とする伊佐市や実際に生産されている農家の方々からすれば、米価の取引価格が上昇することは大変嬉しいことであり期待しているところです。
 20数年前当時、地域の若者が集まり、地域おこしグループ「ふるさときばらん会」を立ち上げ、いろいろな地域活性化をテーマに活動を行っていたことがありました。その一環として、高齢者世帯が殆どを占める県境の山間の集落において、米の栽培にチャレンジしたことがありました。その当時の米の販売価格は無農薬栽培だったこともありますが五㎏で3,500円でしたので、現在の相場と比較するとかなり高価だったことになります。その他、物産店やスーパーにおいて販売される価格も五㎏で2,500円は普通だったことを考えると、今の価格は異常に安く販売されていることになります。
 最近では、物価高騰の影響を受け、多くの値上げが実行されている中、米をはじめとする農作物の価格だけが値上げどころか値下げ状態で推移していることを考えると、生産コストの価格転嫁がいち早く実行されることを願うばかりです。
 結果として、そのことが日本の農業を守り、日本人の食糧を守ることに繋がるからです。「そんなことはわざわざ言わなくてもわかってる」と言われそうですが、当たり前のことができていない日本の社会においてあえて言わせていただきたいと思います。
 

 話は変わりますが、多くの方々は既にご存じのことと思いますが、9月12日に開会した鹿児島県議会の提案理由説明の中で塩田知事から、「特別支援学校の教育環境改善については、先月30日に特別支援学校教育環境改善推進協議会から県教育委員会に対し提出のあった報告書を踏まえ、伊佐・湧水地区においては、伊佐市の旧大口南中学校敷地に、新たな特別支援学校を分置することといたしました。今後、教育委員会において、設置する学部や通学区域など、整備計画を取りまとめて参ります。」と表明されました。
 伊佐・湧水地区の長年の悲願であり、待ちに待った吉報に大変喜んでいます。今後は粛々と計画から設計、工事と進んでいくことになりますが、これまで伊佐に特別支援学校を誘致するために「伊佐に特別支援学校をつくる会」の皆さんをはじめ、多くの方々の想いを結集し、誘致活動のやり方を進化させながら、必死に頑張ってきたことが実を結んだわけですからやったーの一言です。今回は、ただ単に県や県教育委員会に対しての要請活動を行ってきたわけではなく、「伊佐に特別支援学校をつくる会」の皆さんによって作成された、ポロシャツの着用やのぼり旗の掲揚等を市内全域に広げていただくことによって、盛り上げていただきました。自己中心的な考え方ではなく、相手を思いやる利他の心での行動に心より感謝しています。

 この誘致活動で私が市長に就任して先ず取り組んだのは、伊佐市、湧水町それぞれに誘致活動をしていたことを改めるために、湧水町の池上町長への面会をお願いし、伊佐市、湧水町一体となって誘致活動を行っていく旨の申し入れを行ったことでした。
結果として、池上町長やその当時の湧水町議会議長から快諾をいただき、その後、伊佐・湧水のつくる会の皆さまや湧水町、伊佐市(首長、教育長、議会議長、議員)、県議会の池畑憲一議員、池畑知行議員と一体となって、塩田知事や県教育委員会教育長に対して繰り返し要望活動を行ってきました。
 今回の誘致活動で事態が大きく動いた要因のひとつに、塩田知事になって始められた「知事と語る会」において、伊佐市と湧水町それぞれに「つくる会」の皆さんの熱い想いでの訴えが塩田知事に響いたことがあると思います。
 正直なところ、以前県から、1番目が曽於地区で2番目が伊佐・湧水地区、3番目が姶良地区と発表があったときは、地域でも少し落胆したような雰囲気があったのですが、当然ながら2番目にしていただいたことを励みに誘致活動を継続し、ここ最近ではこども課から市教育委員会に窓口を移行し、県教育委員会と協議を進めてきました。
 協議内容や進展状況については、春田教育長から逐一報告を受けていましたので、状況は手に取るようにわかっていました。その中で県に全てをお願いするばかりではなく、伊佐市として大きな決断をしなければならないこともありましたが、一日も早い実現を第一の目標に掲げながら進めてきました。喜怒哀楽を繰り返しながらの日々でしたが、今日の日を迎えると忘れてしまいそうな気分にさせてくれるので不思議なものです。

 今回のこの事業の決定に合わせて、「ルピナス」と「子ども第三の居場所」の整備を行いますので、旧大口南中学校敷地と周辺は劇的に変わり発展することになります。既にいろいろな展開を考えている事業者も出てきているとのことです。「伊佐の教育日本一」本気になってみんなで言い続けることで、取り組みは確実に形になってきていると思います。多くの皆さまに感謝したいと思います。

【今回も職員メールを1通紹介したいと思います。】
題名「週末の嬉しかったこと」
 9月7日の予定は、午前中は大口高校体育祭(私は開会式終了後退席)、その後、伊佐市役所職員ゴルフコンペに参加するため急いで「さつまリゾート」に向かいました。今回のゴルフコンペは、職員から声をかけてもらい誘ってもらったことが嬉しかったので翌日の予定を考えても厳しいスケジュールではありましたが参加することにしました。
 ゴルフという競技に対して、「遊び」と捉える方もいらっしゃるかもしれませんが、職員にとっても私にとっても健康、体力維持の一環でもあり、メンタルを鍛えることにも役立つと思っています。また、現在の全国各地で問題となっている職場環境と職員間のコミュニケーションを図る意味からも大変重要なことだと思っています。
 最近は諸事情により例年と違い、公私ともにスケジュールが過密であるために、ゴルフに行く時間も全く取れない状況が続いたので、今回はとても貴重な運動にもなりましたし、普段見ることのできない職員の素顔?を見ることができ参加して本当に良かったと思います。ゴルフに限らずスポーツにおいては、タラレバが通用するのであれば結果やスコアも満足するものに近づくのでしょうが、そこが通用しないから面白いのだと思います。ある意味、メンタルを鍛えるのには有効な手段の一つかもしれません。
 その後、夜は職員コンペの懇親会と先日全国大会の優勝等の表敬訪問に来てくれた「錬心舘菱刈支部」の祝賀会が同時に行われたので、最初は錬心舘の祝賀会に顔を出し、その後遅れて職員の懇親会に行こうとしていましたが、実際はなかなか思うようにはいかないものでした。開会の来賓あいさつは春田教育長が指名され、私の出番は最後の締めのあいさつになっており、必然的にお開きまで残ることになりました。
 その中で、一人の保護者(お父さん)から、「欣也さん、僕のこと覚えてますか?」と聞かれ、「覚えてない」とはなかなか言いにくい状況ではあったものの全く覚えていませんでした。実は、20数年前に職員時代にお付き合いのあった人でした。当時、市の予算を使わずに雇用促進と新商品開発を取り組みたいと考え、伊佐市産業活性化協議会を農協、商工会、観光協会、民間企業等を会員として立ち上げたことがありました。
 100%国の支援を受けられる制度を導入するために、厚生労働省の補助事業申請に3度目の挑戦でやっと採択いただき、その中で、全国の先進地に将来の技術者の卵を派遣することをしていました。その当時、高校を卒業したばかりの人を和歌山の南高梅農園に2年間派遣した人だったのです。2年間の研修を終え、やっと戦力となると期待をしていた矢先、雇い主に「辞めたい」と打ち明け、雇い主が怒ったことがありました。
 そして、市(国)の補助金で研修をしたのだから橋本さんに謝って来いと言われて恐る恐る私のところに来た人だったようでした。その当時私が何と言ったかは皆さんの想像にお任せしますが、彼が言うには、「あの時の欣也さんの言葉に救われ今頑張れている者です。4年前に市長選挙に出られたとき、あの時の人だとすぐにわかりました。」と言ってくれました。そういえば、2人の研修生を派遣し、その当時、坊主頭の初々しい青年が、私に会いに来たことがあったなと話を聞きながら思い出しました。
 また、日曜日に北海道から私にわざわざ会いに来てくれた人がいたことも嬉しいことでした。名前を言えば思い出す職員も何人かいると思いますが、これも以前、職員時代に地域づくりインターン事業で都会の大学生を受け入れる事業に参加して、旧大口市で多くの学生を受け入れてきましたがその中の一人で今井亮輔さんと言います。
 今井亮輔さんは、東京工業大学を卒業し、大手企業のNTTDETAに就職した人でしたが、今は、北海道の壮瞥町で地域おこし協力隊として赴任し、親子4人で地域活性化に奮闘している素晴らしい人です。昨日の話の中で、「以前(20年ぐらい前)の欣也さんと変わってなくてよかったです。現在の僕のベースにあるのは、以前地域づくりインターン事業に参加し、伊佐で欣也さんの地域づくりに対する考え方や行動に触れながら体験したことがあります。だから以前と変わらない欣也さんに会えたことが本当に嬉しいし会いに来てよかったと思います。遠くからですが伊佐市に注目し見ていますが、あの時言われていたことに伊佐市は近づいていると思うし、伊佐市という名前を以前より良く聞くようになったと思います。」と意外なことを言ってくれました。
 このことは、私が市のホームページで毎月更新している「市長の部屋」も読みながら私を見張った結果もあるかも知れません。(笑)前田 前副市長も楽しみに読んでくれていると言ってくれていますし、毎月書くことで大変な時もありましたが投稿し続けてよかったと思える嬉しい瞬間でした。今井さんの言葉の中に、当時一緒に関わってくれていた、石塚さんはお元気ですか?新納さんはお元気ですか?と名前を出してくれました。この人達も強い印象と影響を与えたことになります。
 この週末に出合うことのできた二人に感謝するとともに、人生においての出会いや縁について考えさせられながら、多くの勇気と元気をもらいました。そんなこともあり、初心を忘れず、ブレることなく前に進んでいこうと思うことができました。感謝です。

 秋の夜に 一事が万事 身に染みる
 
(9月の行事の主なものについて紹介します。)
9月1日は8時30分から本城地区防災訓練に出席し、心臓マッサージを経験しました。11時から八代自治会の運動会・敬老会に参加しました。
9月2日は8時30分から辞令交付式。16時から三役連絡会。17時から錬心舘10名からの表敬訪問。全国大会優勝や入賞報告。小学生から高校生までの選手が全国大会で大活躍の報告で元気の出る時間でした。
9月3日は9時から伊佐市職員採用試験についての協議。
9月4日は10時から伊佐市議会9月定例会招集日。
9月5日は8時から伊佐市秋季畜産共進会、畜魂祭も併せて出席。
9月6日は7時30分から毎月恒例の環境政策課ゴミ拾い活動に参加。今回は羽月地区で実施。今回も第一生命保険と林建設の皆さんにも参加していただきました。毎回のことですが感謝の気持ちで一杯です。伊佐市のポイ捨てゴミの量は確実に少なくなってきています。18時からジャパンファーム夏祭りに参加し楽しい時間を過ごしましたが、後半は予想外の大雨になりました。レーザー光線と花火の競演では雨に反射した幻想的な光景を体験することができ、びしょ濡れにはなりましたが、忘れられない時間となりました。
9月7日は8時30分から大口高校体育祭。
9月8日は北海道から今井亮輔さん表敬訪問。
9月9日は9時から毎年、㈲ライス郷井手口様から市へ新米を提供していただいており今回は感謝状を贈呈させていただきました。貴重なお米を本当にありがとうございます。10時から今年度伊佐市で100歳に到達される13名の方々のお祝いのために訪問をしました。その中でも自宅で健康に過ごされている方々も多く、人生100年時代が現実になっていることが実感できました。今年は、男性2名の方が要介護0、自宅で若々しく生活をされている姿を拝見しながら感動と元気をいただきました。敬老の日をお迎えの皆さまおめでとうございます。19時30分から令和6年度伊佐市長杯ソフトボール大会開会式が行われ、今年も始球式を務めさせていただきました。
9月10日は10時から伊佐市議会9月定例会2日目一般質問。16時30分から池畑県議来室。18時30分から伊佐ライオンズクラブ例会。
9月11日は10時から伊佐市議会9月定例会3日目一般質問。
9月12日は8時から子牛のセリ市に参加。13時30分から霧島市中重真一市長来室。
9月13日は11時からLR株式会社から企業版ふるさと納税をいただきましたので感謝状を贈呈しました。13時から九州電力鹿児島支店長来室。14時30分から伊佐市に特別支援学校をつくる会の大谷代表と簗瀬副代表が来室。15時30分からひまわり福祉会冨永様来室。18時から伊佐市葉たばこ振興会収納祝い懇親会に今回も招待いただき楽しい時間を過ごしました。
9月14日は鹿児島県民スポーツ大会の開会式(県庁)及び応援(卓球・軟式野球・ラグビー・ソフトボール男子)に駆けつけました。人口の少ない伊佐市単独でのチーム編成はなかなか厳しいものがありますが、選手の皆さんは頑張っておられました。
9月15日は6時30分からK自治会訪問。8時から羽月駅前自治会敬老会グランドゴルフ大会参加。9時20分から菱刈中学校体育祭出席。11時30分から下ノ木場自治会敬老会出席。
9月16日は9時から山野菅原神社秋季例大祭及び西南の役招魂碑慰霊祭出席。11時から共進自治会敬老会に出席し楽しい時間を過ごしました。
9月17日は10時から伊佐市議会9月定例会4日目総括質疑。19時30分から令和6年度伊佐市長杯ソフトボール大会決勝戦観戦と表彰式出席。
9月18日は11時から鹿児島県福岡事務所小田真由美所長来室。13時30分から企業版ふるさと納税感謝状贈呈式。16時からKKBフォトドラアワード認定式で今回は忠元公園を伊佐市で4箇所目の認定をいただきました。
9月19日は9時30分から鹿児島県畜産共進会出品者の畜産農家を激励するために訪問しました。13時30分から第14回黄金の俳句コンクール3次作品審査会に出席し市長賞3点(小中高それぞれ)を選びました。15時から伊佐市経営戦略会議。17時から大変お世話になった方の通夜式に参列。
9月20日は7時20分から秋の交通安全運動セレモニーに出席。8時30分から消防課長会。11時30分から愛知かごしま県人会山口吉生会長来室。14時から老健施設はやひと・特別養護老人ホームことぶき・養護老人ホーム敬寿園の敬老祝賀会に出席しお祝いのことばを述べさせていただきました。
9月22日は18時から駅前自治会子ども会十五夜出席。
9月23日は8時30分から創立10周年記念第10回大口中央中学校体育大会出席。9時30分からたんぽぽ運動会わくわくDAYに初めて参加しました。
9月24日は15時から自衛隊鹿児島地方協力本部長松浦幸一1等海佐、国分地域事務所長迫口真也1等陸尉、同広報官竹中洋輔准海尉が来室され、防衛白書について説明を受けました。
9月25日は8時から伊佐市老人クラブ連合会グランドゴルフ大会開会式に出席。10時から伊佐市議会9月定例会5日目。
9月26日は東京出張。14時30分から㈱ユピテルを訪問しました。伊佐市出身で伊佐市に想いを寄せていただく安楽憲彦会長は、ご多忙中にも関わらず訪問を受けていただきました。また、16時から、昨年4月に伊佐市で操業開始したサンキョーミート㈱伊佐ミートプラントの親会社である伊藤ハム米久ホールディングス㈱を訪問しました。
9月27日は10時から㈱SANKYOを訪問し、伊佐市出身の専務執行役員営業本部長の東郷裕二氏に対応していただき貴重なご提言をいただきました。その後は、幕張メッセで開催されていた「TOKYO GAMESHOW2024」に伊佐市からブースを出展していましたので応援に駆けつけました。ものすごい人で溢れ、用意された金鉱石のガチャガチャやeスポーツ米(伊佐米)の配布も凄い人気でした。伊佐への移住・定住を考える人が多くなる予感が持てるイベント参加でした。その後、伊佐市に戻り、到着そのままに大口グリーンホテルで開催された「伊佐黒伊佐会」に少し遅れましたが出席し楽しい時間を過ごしました。
9月28日は8時30分に出発し、鹿児島県畜産共進会へ向かい伊佐市から出品されている応援に駆けつけました。市の代表として出品された伊佐農林高校生や4名の皆さん、応援に駆けつけてくださったJA関係者や畜産農家の皆さんにお礼を申し上げたいと思います。夜は反省会に参加し、今後の畜産振興について意見を交わし楽しい時間を過ごしました。18時30分から大一会夏祭りに出席し来賓のあいさつを述べさせていただきました。多くの来場者に賑わっていました。
9月29日は山野小学校、田中小学校、針持小学校、湯之尾小学校の秋季運動会にお邪魔しました。各学校それぞれに特徴が表れており子どもたちの頑張りを見ることができました。針持小学校では校区コミュニティ協議会合同の運動会となっていたために、地域の方々の競技参加もたくさん用意されており、その中の輪回し競争に来賓チームとして参加させていただきました。久しぶりでしたが楽しく競技できました。また、湯之尾小学校では閉会式に立ち会うことができ、150周年記念として一斉にバルーンを上げることができました。
17時からと18時から2ヶ所で市政報告会を開いていただきました。
9月30日は13時からKKB鹿児島放送軸屋社長がわざわざ市長室にお越しいただきました。18時30分より姶良伊佐保健医療圏地域医療構想調整会議(霧島市)に出席。
最後になりますが、先日、今年度100歳に到達される13名の方々のお祝いのために自宅や施設を訪問し、喜びと幸せを感じることのできた時間でした。長生きの秘訣はなんですか?の問いに返って来た答えは、よく笑い、良く食べること、くよくよしないこと、少しぐらいきついと思っても体を動かすことをやめないこと、目標を持つこと、新聞を読むこと、そして感謝の気持ちを持つこと、ということでした。
昨年も述べましたが、大正13年から14年に生まれた方々に共通していたことは、感謝の心が強くお持ちだということです。「お陰様で」「ありがたいことです」「お世話になって」このような言葉が頻繁に出てくることです。激動の大正時代に生まれ、多くの苦労も乗り越えながらこれまでの日本、伊佐市を創っていただいた方々に備わった感謝の心は本来日本人が持ち合わせておられる素晴らしい気質であり伝統であるとともに、穏やかな表情になり素敵な人生を続けられている秘訣なのだろうと感じました。
私もこのような尊敬できる先輩方の生き方を学び、実践してきたいと思います。今月もよろしくお願いいたします。

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