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災害派遣の報告(第3陣)

2011年04月29日

     3月11日発生した震災、津波の押し寄せる状況をテレビの報道番

   でドキドキしながら見ていたことを、今でもよく覚えている。

    翌12日に出水市と水俣市へ新幹線全線開業イベント行く準備を終え

  たところでもあった。

    第三班が南三陸町に入ったのは夜で車のライトで見える範囲しか被災

  した状況は見えませんでしたが、山間の水田の端に漁船が傾いたもの、

  遠くで炎が見えたり、異様な状況に全員、唖然とし涙しながら、ベイサ

  イドまで行ったように記憶しています。

    災害対策本部で挨拶、引継ぎを行う時にどんな言葉をどんな顔をした

  らいいのか、つらい時間帯でした。

    野外のテントとマイクロバスで寝起し、早朝から自炊、災害対策本部

  裏の18個の簡易トイレの清掃から始め、それぞれの担当部署で住民か

  らの問い合わせ、他の部署への連絡、義援金の受け取りや毎日の災害対

  策本部での現場の被災状況の確認、遺体収容の報告を受け毎日が緊張の

  連続であった。

    一緒に働く町職員のなかには多くの人が身内も被災されている。

    旧庁舎の屋上の鉄塔に登って助かった職員が淡々と当時の状況を話さ

  れるなかに、多くの悲しみを乗り越えようと必死であるようにも感じる

  とともに、深い感銘を受けました。

    4月27日に天皇陛下が慰問に見えられ、避難所で若い女性が2歳の

  子ども、夫、義理の父母を亡くし、子どもの遺体が見つからないので、

  心のけじめを付けられないと陛下に話されていました。

    また、避難所で皇后陛下に黄色いスイセンの花束を渡す女性がいまし

  た。南三陸町では、庭先、道路、畑の脇などにたくさんのスイセンが満

  開でした。

    水仙は球根で繁殖するので、塩水に浸かっても花を咲かす、来年も、

  再来年も花を咲かすので、必ず復旧、復興するとの気持ちを伝えたかっ

  たのだと思います。

    災害対策本部の三浦課長の「死んだ人も地獄を見て死んだ。生きてい

  る人も地獄を見た。これから死んだ人の分まで、町の復興にガンバリま

  す」との言葉に目頭が熱くなった。

   「人間は、乗り越えられない試練や苦労はないと思って頑張ってきたつ

  もりでした」が、それをまさに実体験、再確認する支援活動でもありま

  した。

   

    支援活動から帰って、被災地のことは一生忘れなしないと思いますが、

  今の置かれた環境を認識し、「平穏無事であることの幸せがどんなに大

  事で貴重である」ことを思い、職員としてのあり方、生き方を真摯な心

  で考えたいものです。

 

                          平成23年4月

 

         第3陣  坂元 福満  前原 武俊  是枝 秀樹  

          上村 謙二  春園 四郎  栗巣 義朗

 

 

   【関連記事】

    宮城県南三陸へ第3陣出発(職員等派遣について)(4月20日)

    *派遣職員「第3陣」帰庁(4月29日)

 

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