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災害派遣の報告(第6陣)

2011年05月19日

    派遣初日、瓦礫の中を歩く黄色い帽子をかぶりランドセルを背負った一年生

  の姿に涙した。「この子のために何かしてやらないと。ちゃんとご飯を食べら

  れているんだろうか?お父さんお母さんは、ちゃんと生きているんだろうか?

  と、惨状を目の当たりにして声も出ない中、一人心の中で自問自答を繰り返

  た。

    派遣前、家族で話をしている最中に子どもたちから声が上がった。「お父

  ん、一人でも二人でもいいから 家に連れて帰って来ていいよ」と。親を失っ

  た子どもを寂しさから救おうとする健気な言葉が頭に残っていたためかもしれ

 ない。

    現地での支援を続ける中、子どもたちの明るくたくましい姿に触れそして

 り巻く大人たちの前向きさに、逆に自分たちが元気をもらい勇気付けられた。

 着実に一歩ずつ復興への道が切り開かれて行っているのを感じ取った。

  このような機会を与えていただいたことに、感謝の気持ちでいっぱいです。

 そして市民の方々、9日間の間、公務を休み支援活動に従事したことでご迷惑

 をおかけしたことと思います。この貴重な経験で得たものを、いつかはわがふ

 るさと伊佐のために生かしたいと思います。本当にありがとうございました。

  そして末永く、震災地の支援を続けいつか再び南三陸の町を訪れてみたいで

 す。【助けあいがんばろう 南三陸 そして東日本】(山下)  

 

 

  4月5日から始まった被災地への職員派遣で、初めての女性派遣職員の一員

 として参加しました。現場の様子は報道で見るのと同じでしたが、画面を通し

 てみた風景と360度見渡す目の前の風景では、身体に感じる温度が違いました。

 「がれきにしか見えない倒壊家屋も、家主には思い出の詰まったわが家」。被

 災された方の目線で考えると涙が溢れました。

  派遣先の仮庁舎では窓口対応で、被災された住民の方と直接会話する機会が

 多く、被災者の痛みを肌で感じました。

  「この町のために、何かしたい」そう意気込んで現地に入った私たちですが、

 現場ではその悲惨な状況は日常になりつつあります。支援する側の”想い”が現

 場の職員に負担をかけているかもしれないと感じたとき、現地で支援する

 の「待つのもボランティア」という言葉が印象に残りました。それからは、は

 やる気持ちをクールダウンできて、自分で出来ることを行いながら、「次の指

 示を”待つ”」ことに徹しました。

  7日間という短い期間で「何かお役にたてたのだろうか」と、帰るその日まで

 自問自答していました。でも、悩んでいたことがウソのように答えが出たのは、

 派遣最終日。忙しく業務に追われる職員に迷惑をかけないよう、そっと帰ろう

 とした私たちに、全員が立ち上がり、拍手と笑顔で「いつか、伊佐市へ行くか

 ら」と見送ってくれました。現場では多くのことを学びましたが、被災地は特

 別な場所ではないということも気づかされました。そこには被災しつつも生き、

 暮らしている人々がいます。その人々と接して、震災を自分のこととして捉え

 ることで、自分や身近な人を救う力にかえたいと思います。(柿ノ迫)

 

 

  振り返ってみて一番必要だったこと、そして一番勉強になったことは上手な

 コミュニケーションのとり方であった。現地職員と、派遣職員同士と、被災

 れた住民のみなさんと、毎日のように訪れるマスコミやボランティアスタッ

 自衛隊や警察のみなさんと、上手にコミュニケーションがとれるかどうかです

 べてが変わる。問題山積みで、忙しくて、気持ちに余裕がなくて、周りがそう

 いう状態だからこそ、よいコミュニケーションをはかり、信頼関係を築き維持

 することが重要である。一緒に参加した同僚からたくさん学ぶことができた。

 通常業務にもつながる大事なことで、自分がスキルアップしないといけない部

 分である。

  現場を自分の目で見て、何か少しでも手伝える機会をいただいたことに感謝

 します。今回の配属先が自分の普段担当している業務とは異なった場所であっ

 たこと、事務補助的な役割であったこと、これらが幸いして、業務に入り込み

 すぎることなく、被災地の行政や現状を見て回る時間も少しとれ、客観的に見

 ることができました。

   関西連合や東京都の派遣の方々に「もう少し一緒に仕事をしましょう」と言

 っていただいたのもうれしかったし、情報交換や、考え方を聞くことができて、

 これもいい経験になりました。

  最も多く質問されたのは「姉妹都市ですか?」、違うと答えるとかなり驚か

 れました。

  機会をくださったみなさん、受け入れてくださった南三陸町のみなさんに心

 から感謝します。復興へ進む南三陸町に必ずまた行きたいと思います。(神田)

 

 

   この度、被災地での業務をするなかで、自然の驚異と恐ろしさと同時に人間

  の強さや絆を肌身で感じることができました。本市において災害等ないことが

  一番ですが、想定外の地震、台風等がおこりえるということを学びました。

  今回の派遣につきまして多くの関係者の方々、職場の皆様方にご協力をいた

 だきましたことに感謝しております。今後経験を生かし、伝え行動していくこ

 とが恩返しであることと思っております。

  一度しかない人生ですので、これまで以上に出逢いとご縁を大切にしていき

 たいと思います。(米盛)

 

 

    私は、被災地での行政支援業務という、これまでの日常とはまったく違う環

  境ので、今まであたり前に思っていた電気・ガス・水道や、自分の家族や同

  僚が元気で日常の生活を送っていること、生産活動や消費活動が日常的に行わ

  れていることなど、あたり前であることがどれだけありがたいことかを感じま

  した。

   また、災害対策本部での業務を経験したことにより、災害対策や防災対策な

  ど、今後自分のところで起こりうることを、どこの職場にいても常に頭に入れ

  て仕事をしなければならないと改めて強く思い、私を含め今回派遣された職員

  が、この経験を他の職員や市民の皆さんに伝え、伊佐市全体が防災に対する意

  識を高めていくことができればいいのではないかと思います。

   南三陸町でも、私たちが滞在している間に、コンビニエンスストアが仮店舗

  や空き地で営業を開始したり、災害臨時FMラジオ局が開局したり、避難所の

  規模の縮小など、少しずつではありますが、前に向かって進んでいます。何年

  かかるか想像もつきませんが、必ず素晴らしい町ができることと思いますし、

  それを願っています。

   今後も、私たちにできることがあれば、どんな形でも支援していきたいと思

  いますし、自分自身もこの経験を今後に生かしていきたいと思っています。

   最後に、今回このような経験をさせていただき感謝申し上げます。(渕上)

 

                            平成23年5月

 

          第6陣  山下 安志  柿ノ迫秀美  神田 順香

               米盛  誠  渕上 勇輝

 

 

    【関連記事】

    *宮城県南三陸へ第6陣出発(職員等派遣について)(5月11日)

    派遣職員「第6陣」帰庁(5月19日)

 

 

 

 

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